こんにちは!
以下の4冊を頼りに荘子を読んでいきます。
福永光司 荘子 内篇 (講談社学術文庫)
蔡志忠 マンガ 老荘の思想 (講談社+α文庫)
(マンガ老荘の思想の該当部分は青字で示します)
今回は、養生主 を読みます。
ご参考になれば幸いです。
荘子 内篇
養生主
養生主の根本原理
吾生也有涯,而知也无涯。
以有涯隨无涯,殆已;
已而為知者,殆而已矣。
為善无近名,為惡无近刑。
緣督以為經,
可以保身,可以全生,可以養親,可以盡年。
庖丁解牛 (庖丁 と 文恵君 の問答)
庖丁為文惠君解牛,
手之所觸,肩之所倚,足之所履,膝之所踦,
砉然嚮然,奏刀騞然,莫不中音。
合於《桑林》之舞,乃中《經首》之會。
現在 料理に使う庖丁の語源は、庖丁さん なんだそうです。
文惠君曰:
「譆!善哉!技蓋至此乎?」
庖丁釋刀對曰:
「臣之所好者道也,進乎技矣。
始臣之解牛之時,所見无非牛者。
三年之後,未嘗見全牛也。
方今之時,臣以神遇,
而不以目視,官知止而神欲行。
依乎天理,批大郤,導大窾,因其固然。
技經肯綮之未嘗,而況大軱乎!
良庖歲更刀,割也;
族庖月更刀,折也。
今臣之刀十九年矣,所解數千牛矣,
而刀刃若新發於硎。
彼節者有間,而刀刃者无厚,以无厚入有間,
恢恢乎其於遊刃必有餘地矣,
是以十九年而刀刃若新發於硎。
雖然,每至於族,吾見其難為,
怵然為戒,視為止,行為遲。
動刀甚微,謋然已解,如土委地。
提刀而立,為之四顧,為之躊躇滿志,
善刀而藏之。」
文惠君曰:
「善哉!吾聞庖丁之言,得養生焉。」
rei 複雑なものに、がむしゃらに取り組んでもだめ。自然に身を任せれば、生を全うできる。 それから、福永先生が仰っていますが、鍛錬することによって得られる無心の境地が無為でもある。と言っているのですね。
真の自由と幸福 (公文軒 と 右師 の問答)
公文軒見右師而驚曰:
「是何人也?惡乎介也?天與,其人與?」
曰:
「天也,非人也。
天之生是使獨也,人之貌有與也。
以是知其天也,非人也。」
澤雉十步一啄,百步一飲,不蘄畜乎樊中。
神雖王,不善也。
生と死(老子の弟子 と 秦失 の問答)
老聃死,秦失弔之,三號而出。
弟子曰:
「非夫子之友邪?」
曰:
「然。」「然則弔焉若此,可乎?」
曰:
「然。始也,吾以為其人也,而今非也。
向吾入而弔焉,
有老者哭之,如哭其子;
少者哭之,如哭其母。
彼其所以會之,必有不蘄言而言,
不蘄哭而哭者。
是遁天倍情,忘其所受,古者謂之遁天之刑。
適來,夫子時也;適去,夫子順也。
安時而處順,哀樂不能入也,
古者謂是帝之縣解。」
指窮於為薪,火傳也,不知其盡也。
rei 最後の文、肉体は有限であっても 生命そのものは不滅だと言っているんですね。
養生主は、ここまでです。
ご参考になれば幸いです。
ありがとうございました。
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