こんにちは、reiです!
以下の3冊を頼りに荘子を読んでいきます。
福永光司 荘子 内篇 (講談社学術文庫)
蔡志忠 マンガ 老荘の思想 (講談社+α文庫)
(マンガ老荘の思想の該当部分は青字で示します)
今回は、逍遥遊を読みます。
ご参考になれば幸いです。
荘子 内篇
逍遙遊
鯤と鵬
北冥有魚,其名為鯤。
鯤之大,不知其幾千里也。
化而為鳥,其名為鵬。
鵬之背,不知其幾千里也;
怒而飛,其翼若垂天之雲。
是鳥也,海運則將徙於南冥。
南冥者,天池也。
rei 鯤とは本来は「はららご」で、小さい魚の卵のこと。それを大きな魚と言っているのには、恐らく なにか意味があるのでしょうね。
荘子 私の作り話じゃない。齊諧だって言ってることじゃ。
齊諧者,志怪者也。
諧之言曰:
「鵬之徙於南冥也,
水擊三千里,摶扶搖而上者九萬里,
去以六月息者也。」
大鵬の逍遥
野馬也,塵埃也,生物之以息相吹也。
天之蒼蒼,
其正色邪?
其遠而無所至極邪?
其視下也亦若是,則已矣。
んん~。ここのところ、意味が分かりにくいです。
且夫水之積也不厚,則負大舟也無力。
覆杯水於坳堂之上,則芥為之舟,
置杯焉則膠,水淺而舟大也。
風之積也不厚,則其負大翼也無力。
故九萬里則風斯在下矣,而後乃今培風;
背負青天而莫之夭閼者,而後乃今將圖南。
十分な風がないと鳳は飛ぶことができない。だから、鳳には大風が必要で、青天を背負うほど高く飛び上がり南を目指す。
reu 大鵬のことを言っていますが、抽象的ですね。これ以降は、説話などを挙げながら説明しています。
蜩と学鳩にはわからない
蜩與學鳩笑之曰:
「我決起而飛,槍榆、枋,
時則不至而控於地而已矣,
奚以之九萬里而南為?」
「我々が奮い立って飛びあがっても、低い木に止まるどころか地面に落ちることさえある。(大鵬は)どうしてそんな高く上がってから南を目指すのか?」
rei 蜩と学鳩は、侏儒のことを言ってるのだそうです。
適莽蒼者三湌而反,腹猶果然;
適百里者宿舂糧;
適千里者三月聚糧。
之二蟲又何知!
小知不及大知,小年不及大年。
百里行く人は一晩かかって米をつく、
千里行く人は3カ月かかって食料を集める。
(そういったことは)蜩と学鳩にはわからないだろう。
知恵のないものは知恵のあるもののことなど分からない。
短命なものには長寿のもののことなど分からない。
荘子 短命なものと長寿なものとは次のようなことじゃ。
奚以知其然也?
朝菌不知晦朔,蟪蛄不知春秋,此小年也。
楚之南有冥靈者,以五百歲為春,五百歲為秋;
上古有大椿者,以八千歲為春,八千歲為秋。
而彭祖乃今以久特聞,眾人匹之,不亦悲乎!
楚の国の南方の「冥靈」は、五百年が春で、五百年が秋。大昔の「大椿」は、八千年が春で、八千年が秋。(これが長寿である)
「彭祖」は長寿と聞くが、これらに比べると大したことではない。
rei「彭祖」は、800歳くらいの長生きだったようです。伝説ですけどね…
湯と棘の問答
湯之問棘也是已。
窮髮之北,有冥海者,天池也。
有魚焉,其廣數千里,未有知其脩者,其名為鯤。
有鳥焉,其名為鵬,背若泰山,翼若垂天之雲,摶扶搖羊角而上者九萬里,絕雲氣,負青天,然後圖南,且適南冥也。
斥鴳笑之曰:
「彼且奚適也?我騰躍而上,不過數仞而下,翱翔蓬蒿之間,此亦飛之至也。而彼且奚適也?」
此小大之辯也。
「斥鴳(小さい鳥)」は、その話をあざ笑うが、小さい鳥には 大きな鳥のすることが分からない。 大きなものと小さなものには差異があるのだ。
人間世界では
故夫知效一官,行比一鄉,德合一君,
而徵一國者,其自視也亦若此矣。
而宋榮子猶然笑之。
且舉世而譽之而不加勸,
舉世而非之而不加沮,
定乎內外之分,
辯乎榮辱之竟,斯已矣。
彼其於世,未數數然也。
雖然,猶有未樹也。
夫列子御風而行,泠然善也,
旬有五日而後反。
彼於致福者,未數數然也。
此雖免乎行,猶有所待者也。
若夫乘天地之正,而御六氣之辯,
以遊無窮者,彼且惡乎待哉!
故曰:
至人無己,神人無功,聖人無名。
「宋栄子」は、このことを冷笑するが、栄誉と恥辱の境界を区別しているだけにすぎず、世俗に拘っているところがある。
「列子」は、風に乗ったりして軽やかで飛翔のすべを心得ていたが、まだ頼っているところがある。
本当の超越者は、天地宇宙と一体になり何ものにも束縛されない。「至人」には私心がなく、「神人」には功績がなく、「聖人」には名誉がない。と、言われている。
rei 荘子が言いたいところなんでしょうが、いきなり「至人」「神人」「聖人」という言葉が出てくるので、面食らってしまいますね。
堯と許由 -天下は治める人が治めるー
堯讓天下於許由,曰:
「日月出矣,而爝火不息,其於光也,不亦難乎!
時雨降矣,而猶浸灌,其於澤也,不亦勞乎!
夫子立而天下治,而我猶尸之,吾自視缺然,請致天下。」
許由曰:
「子治天下,天下既已治也。
而我猶代子,吾將為名乎?
名者,實之賓也,吾將為賓乎?
鷦鷯巢於深林,不過一枝;
偃鼠飲河,不過滿腹。
歸休乎君!予無所用天下為。
庖人雖不治庖,尸祝不越樽俎而代之矣。」
太陽や月が出ているのに松明(たいまつ)を消さない。雨が降っているのに田に水を注ぐ。など、なんと無駄なことか。
私より先生のほうが天下を治めたほうがよい。
「許由」は言った。
あなたは既に天下を治めている。私が名誉が欲しいと思っておられるのか。主人のいない客は意味がない。私は、鷦鷯や偃鼠のように山林生活に満足しているのだ。
帰って休みなさい。
わたしは俗事には手を出さない。
肩吾と連叔 -藐姑射の山の神人ー
肩吾問於連叔曰:
「吾聞言於接輿,大而無當,往而不反。
吾驚怖其言,猶河漢而無極也,大有逕庭,不近人情焉。」
連叔曰:
「其言謂何哉?」
曰:
「藐姑射之山,有神人居焉,肌膚若冰雪,淖約若處子,不食五穀,吸風飲露。
乘雲氣,御飛龍,而遊乎四海之外。
其神凝,使物不疵癘而年穀熟。
吾以是狂而不信也。」
連叔曰:
「然,瞽者無以與乎文章之觀,
聾者無以與乎鍾鼓之聲。
豈唯形骸有聾盲哉?夫知亦有之。
是其言也,猶時女也。
之人也,之德也,
將旁礡萬物,以為一,世蘄乎亂,
孰弊弊焉以天下為事!
之人也,物莫之傷,大浸,稽天而不溺,大旱、金石流、土山焦而不熱。
是其塵垢粃糠,將猶陶鑄堯舜者也,孰肯以物為事!
「接輿」から大げさな話を聞いた。
連叔は言った。
どんな話だったのか。
肩吾は言った。
姑射の山に、身体がしなやかな神人が居て、この世界の外の世界で遊んでいる…
話がとても変で、信じられない。
連叔は言った。
その神人のことは、お前が理解できないだけのことだ。
その神人は万物をひとつにしようとする。
世間の人は、治めることを求めても、どうして苦労をして勤めるようなことはしない。
この人は外界から害されることなどない。
強靭で、塵や垢のような糟で堯舜を造れるほどの人物であるのだから。
rei 肩吾には「神人」のことなど分かるまい。と言っているようですね。
宋人資章甫而適諸越,越人斷髮文身,無所用之。
堯治天下之民,平海內之政,
往見四子藐姑射之山,
汾水之陽,窅然喪其天下焉。」
堯は天下を治めてから姑射の山へ行って四人の神人に会った。汾水の北の都へ帰ってきて失神し、その天下のことを忘れてしまった。
rei 世俗の世界で最高の有徳者といわれる堯でさえ、「神人」の前では呆然自失してしまう。と、いうことなんですね。
rei これから語られる2つの問答は、荘子が書いたものではないと言われているそうです。 読んでいきますね。
恵子と荘子 -瓢 あかぎれの薬ー
惠子謂莊子曰:
「魏王貽我大瓠之種,我樹之成而實五石,
以盛水漿,其堅不能自舉也。
剖之以為瓢,則瓠落無所容。
非不呺然大也,吾為其無用而掊之。」
莊子曰:
「夫子固拙於用大矣。
宋人有善為不龜手之藥者,世世以洴澼絖為事。
客聞之,請買其方百金。
聚族而謀曰:『我世世為洴澼絖,不過數金;
今一朝而鬻技百金,請與之。』
客得之,以說吳王。
越有難,吳王使之將。
冬,與越人水戰,大敗越人,裂地而封之。
能不龜手一也,或以封,或不免於洴澼絖,
則所用之異也。
今子有五石之瓠,何不慮以為大樽而浮乎江湖,而憂其瓠落無所容?
則夫子猶有蓬之心也夫!」
魏王がくれた瓢の種から五石の量が採れた。水を入れると重くて持てない。柄杓にすると平たくてこぼれてしまう。大きいだけで使い物にならないので壊した。
荘子は言った。
あなたは大きなものを用いるのが下手だ。
宋の国に、あかぎれの薬を造るのがうまい人がいて、その薬を水で絹綿を晒すときに使っていた。旅人が薬の作り方を百金で買いたいと言ってきた。親族が相談して言うには、晒す仕事で今までに数金得ただけだ。それが百金で売れるのなら売ろう。旅人はその作り方を聞いて、呉王に説明した。呉の国に戦争が起こったとき、その男を将軍にした。冬に越の国と水上戦となって、越を破った。その男は大名になった。
越の国の人はあかぎれになって、十分に戦えなかったのだ。
不龜手の薬の使い方が違うのだ。
今五石も入る瓢があるなら、くり抜いて大樽の舟にして、川や海に浮かべたらよいのに。何も入らないことを憂いるとは一体どういうことか。
あなたの心は塞がっている。
rei 恵施は、ひょうたんが大きすぎて使い物にならないと言っているけど、宋の国の あかぎれの薬の話のように、使い道を違えれば良いんじゃ。と、荘子は言っているようです。
恵施と荘子 ー役に立たない樹ー
惠子謂莊子曰:
「吾有大樹,人謂之樗。
其大本擁腫而不中繩墨,
其小枝卷曲而不中規矩,
立之塗,匠者不顧。
今子之言,大而無用,眾所同去也。」
莊子曰:
「子獨不見狸狌乎?
卑身而伏,以候敖者;
東西跳梁,不避高下;
中於機辟,死於罔罟。
今夫斄牛,其大若垂天之雲。
此能為大矣,而不能執鼠。
今子有大樹,患其無用,
何不樹之於無何有之鄉,廣莫之野,
彷徨乎無為其側,逍遙乎寢臥其下?
不夭斤斧,物無害者,
無所可用,安所困苦哉!」
私のところに大木がある。その大木はこぶがあり、枝は曲がっている。大工が見向きもしない。あなたの話も大きすぎて用がなく、誰もがそっぽを向く。
荘子が言った。
あなたは野猫や鼬を見たことはありませんか。獲物を狙うのだが結局は罠にかかって殺される。
大きな牛は鼠を捕ることはできない。
役に立たない木があるということですが、その木が広い野原に植えて、その周りで勝手気ままに休んで、その木陰で眠ることをどうしてしないのですか。
斤や斧で切られることもなく害を加えられることもない。
何を悩むことなどあろうか。
rei 恵施は、荘子の話は大げさで役に立たない。と言い、それに対して荘子は、世間的に無用とされるもの中に、真の有用さがある。と言っているようですね。「無用の用」
逍遥遊は、ここまでです。
ご参考になれば幸いです。
ありがとうございました!
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