荘子 逍遥遊 を読む

スポンサーリンク

こんにちは、reiです!

 

以下の3冊を頼りに荘子を読んでいきます。

福永光司 荘子 内篇 (講談社学術文庫)

金谷治 荘子 第一冊 内篇 (岩波文庫 青 206-1)

蔡志忠 マンガ 老荘の思想 (講談社+α文庫)
 (マンガ老荘の思想の該当部分は青字で示します)

 

今回は、逍遥遊を読みます。

ご参考になれば幸いです。

 

 

荘子そうじ 内篇ないへん

逍遙遊しょうようゆう

鯤と鵬

北冥有魚,其名為鯤。
鯤之大,不知其幾千里也。
化而為鳥,其名為鵬。
鵬之背,不知其幾千里也;
怒而飛,其翼若垂天之雲。
是鳥也,海運則將徙於南冥。
南冥者,天池也。

大意 大きな魚が、大きな鳥になった。海が荒れ狂う時、その鳥が北の海から南の海へ渡った。

rei  鯤とは本来は「はららご」で、小さい魚の卵のこと。それを大きな魚と言っているのには、恐らく なにか意味があるのでしょうね。

 

荘子  私の作り話じゃない。齊諧だって言ってることじゃ。

齊諧者,志怪者也。
諧之言曰:
「鵬之徙於南冥也,
水擊三千里,摶扶搖而上者九萬里,
去以六月息者也。」

大意 物識りの「齊諧」も、鵬が六月の風にのって渡って行ったと言っている。

 

大鵬の逍遥

野馬也,塵埃也,生物之以息相吹也。
天之蒼蒼,
其正色邪?
其遠而無所至極邪?
其視下也亦若是,則已矣。

大意 地上の小さくて雑多なものが呼吸している世界。この空の蒼さは本当なのか?遠いからそう見えるのか?鳳にも蒼く見えるのだろう。

んん~。ここのところ、意味が分かりにくいです。

 

且夫水之積也不厚,則負大舟也無力。
覆杯水於坳堂之上,則芥為之舟,
置杯焉則膠,水淺而舟大也。
風之積也不厚,則其負大翼也無力。
故九萬里則風斯在下矣,而後乃今培風;
背負青天而莫之夭閼者,而後乃今將圖南。

大意 十分な水がないと舟を浮かべられない。
十分な風がないと鳳は飛ぶことができない。だから、鳳には大風が必要で、青天を背負うほど高く飛び上がり南を目指す。
荘子 大鵬は、超越者の超越を象徴するものなのじゃ。

reu 大鵬のことを言っていますが、抽象的ですね。これ以降は、説話などを挙げながら説明しています。

 

 

蜩と学鳩にはわからない

蜩與學鳩笑之曰:
「我決起而飛,槍榆、枋,
時則不至而控於地而已矣,
奚以之九萬里而南為?」

大意 蜩と学鳩が笑って言った。
「我々が奮い立って飛びあがっても、低い木に止まるどころか地面に落ちることさえある。(大鵬は)どうしてそんな高く上がってから南を目指すのか?」

rei 蜩と学鳩は、侏儒のことを言ってるのだそうです。

 

適莽蒼者三湌而反,腹猶果然;
適百里者宿舂糧;
適千里者三月聚糧。
之二蟲又何知!
小知不及大知,小年不及大年。

大意 近くの野原に行く人は3食あれば良いが、
百里行く人は一晩かかって米をつく、
千里行く人は3カ月かかって食料を集める。
(そういったことは)蜩と学鳩にはわからないだろう。
知恵のないものは知恵のあるもののことなど分からない。
短命なものには長寿のもののことなど分からない。

荘子  短命なものと長寿なものとは次のようなことじゃ。

奚以知其然也?
朝菌不知晦朔蟪蛄不知春秋此小年也
楚之南有冥靈者以五百歲為春五百歲為秋
上古有大椿者以八千歲為春八千歲為秋
而彭祖乃今以久特聞眾人匹之不亦悲乎

マンガ【蟬と亀】
大意 「朝菌」は、夜と朝を知らない。「蟪蛄」は、春と秋を知らない。これが短い命である。
楚の国の南方の「冥靈」は、五百年が春で、五百年が秋。大昔の「大椿」は、八千年が春で、八千年が秋。(これが長寿である)
「彭祖」は長寿と聞くが、これらに比べると大したことではない。

rei「彭祖」は、800歳くらいの長生きだったようです。伝説ですけどね…

荘子 鯤と鵬の話が信じられんのなら、これからの話を聞くんじゃ。

 

湯と棘の問答

湯之問棘也是已。
窮髮之北,有冥海者,天池也。
有魚焉,其廣數千里,未有知其脩者,其名為鯤。
有鳥焉,其名為鵬,背若泰山,翼若垂天之雲,摶扶搖羊角而上者九萬里,絕雲氣,負青天,然後圖南,且適南冥也。

斥鴳笑之曰
彼且奚適也我騰躍而上不過數仞而下翱翔蓬蒿之間此亦飛之至也而彼且奚適也?」
此小大之辯也

マンガ【雀のあざけり】
大意 鯤と鵬の話は、「湯(湯王)」と「棘(湯王に仕えた賢臣)」の問答にも、鯤と鵬の話がある。
「斥鴳(小さい鳥)」は、その話をあざ笑うが、小さい鳥には 大きな鳥のすることが分からない。 大きなものと小さなものには差異があるのだ。

 

 

荘子 ここからは、人間世界の話をする。

 

人間世界では

故夫知效一官,行比一鄉,德合一君,
而徵一國者,其自視也亦若此矣。

而宋榮子猶然笑之。
且舉世而譽之而不加勸,
舉世而非之而不加沮,
定乎內外之分,
辯乎榮辱之竟,斯已矣。
彼其於世,未數數然也。
雖然,猶有未樹也。

夫列子御風而行,泠然善也,
旬有五日而後反。
彼於致福者,未數數然也。
此雖免乎行,猶有所待者也。

若夫乘天地之正,而御六氣之辯,
以遊無窮者,彼且惡乎待哉!

故曰:
至人無己,神人無功,聖人無名。

大意 世間の秀才たちは、狭い自分の世界だけにとらわれている。
「宋栄子」は、このことを冷笑するが、栄誉と恥辱の境界を区別しているだけにすぎず、世俗に拘っているところがある。
「列子」は、風に乗ったりして軽やかで飛翔のすべを心得ていたが、まだ頼っているところがある。
本当の超越者は、天地宇宙と一体になり何ものにも束縛されない。「至人」には私心がなく、「神人」には功績がなく、「聖人」には名誉がない。と、言われている。
荘子 至人・神人・聖人が、逍遥遊の実践者なのだ。

rei 荘子が言いたいところなんでしょうが、いきなり「至人」「神人」「聖人」という言葉が出てくるので、面食らってしまいますね。

 

荘子 絶対者が「名」を超克することを具体的説話的に説明する。

 

堯と許由 -天下は治める人が治めるー

堯讓天下於許由,曰:
「日月出矣,而爝火不息,其於光也,不亦難乎!
時雨降矣,而猶浸灌,其於澤也,不亦勞乎!
夫子立而天下治,而我猶尸之,吾自視缺然,請致天下。」

許由曰:
「子治天下,天下既已治也。
而我猶代子,吾將為名乎?
名者,實之賓也,吾將為賓乎?
鷦鷯巢於深林,不過一枝;
偃鼠飲河,不過滿腹。
歸休乎君!予無所用天下為。
庖人雖不治庖,尸祝不越樽俎而代之矣。」

大意 「堯」が、天下を「許由」に譲って言った。
太陽や月が出ているのに松明(たいまつ)を消さない。雨が降っているのに田に水を注ぐ。など、なんと無駄なことか。
私より先生のほうが天下を治めたほうがよい。
「許由」は言った。
あなたは既に天下を治めている。私が名誉が欲しいと思っておられるのか。主人のいない客は意味がない。私は、鷦鷯や偃鼠のように山林生活に満足しているのだ。
帰って休みなさい。 
わたしは俗事には手を出さない。

 

荘子 もうひとつ、具体的説話的に説明しよう。

 

肩吾と連叔 -藐姑射の山の神人ー

肩吾問於連叔曰:
「吾聞言於接輿,大而無當,往而不反。
吾驚怖其言,猶河漢而無極也,大有逕庭,不近人情焉。」

連叔曰:
「其言謂何哉?」

曰:
「藐姑射之山,有神人居焉,肌膚若冰雪,淖約若處子,不食五穀,吸風飲露。
乘雲氣,御飛龍,而遊乎四海之外。
其神凝,使物不疵癘而年穀熟。
吾以是狂而不信也。」

連叔曰:
「然,瞽者無以與乎文章之觀,
聾者無以與乎鍾鼓之聲。
豈唯形骸有聾盲哉?夫知亦有之。
是其言也,猶時女也。
之人也,之德也,
將旁礡萬物,以為一,世蘄乎亂,
孰弊弊焉以天下為事!
之人也,物莫之傷,大浸,稽天而不溺,大旱、金石流、土山焦而不熱。
是其塵垢粃糠,將猶陶鑄堯舜者也,孰肯以物為事!

大意  肩吾が連叔に問うて言った。
「接輿」から大げさな話を聞いた。
連叔は言った。
どんな話だったのか。
肩吾は言った。
姑射の山に、身体がしなやかな神人が居て、この世界の外の世界で遊んでいる…
話がとても変で、信じられない。
連叔は言った。
その神人のことは、お前が理解できないだけのことだ。
その神人は万物をひとつにしようとする。
世間の人は、治めることを求めても、どうして苦労をして勤めるようなことはしない。
この人は外界から害されることなどない。
強靭で、塵や垢のような糟で堯舜を造れるほどの人物であるのだから。

rei 肩吾には「神人」のことなど分かるまい。と言っているようですね。

 

宋人資章甫而適諸越越人斷髮文身無所用之
堯治天下之民,平海內之政,
往見四子藐姑射之山,
汾水之陽,窅然喪其天下焉。」

マンガ【越人の入れ墨】
大意 宋の国の人が章甫の冠を越の国へ売りに行ったが、越の人はざんばら髪に入れ墨で、冠は必要でなかった。
堯は天下を治めてから姑射の山へ行って四人の神人に会った。汾水の北の都へ帰ってきて失神し、その天下のことを忘れてしまった。
荘子 堯でさえ、宋人の章甫の冠のようなものなんだよ。

rei 世俗の世界で最高の有徳者といわれる堯でさえ、「神人」の前では呆然自失してしまう。と、いうことなんですね。

 

 

 

rei これから語られる2つの問答は、荘子が書いたものではないと言われているそうです。 読んでいきますね。

 

「大」の世界について恵施の批判と荘子の反論。以下ふたつの問答を通して無用の用を説く。

 

恵子と荘子 -瓢 あかぎれの薬ー

惠子謂莊子曰
魏王貽我大瓠之種我樹之成而實五石
以盛水漿其堅不能自舉也
剖之以為瓢則瓠落無所容
非不呺然大也吾為其無用而掊之。」

莊子曰
夫子固拙於用大矣
宋人有善為不龜手之藥者,世世以洴澼絖為事。
客聞之,請買其方百金。

聚族而謀曰:『我世世為洴澼絖,不過數金;
今一朝而鬻技百金,請與之。』

客得之,以說吳王。
越有難,吳王使之將。
冬,與越人水戰,大敗越人,裂地而封之。
能不龜手一也,或以封,或不免於洴澼絖,
則所用之異也。
今子有五石之瓠何不慮以為大樽而浮乎江湖而憂其瓠落無所容
則夫子猶有蓬之心也夫!」

マンガ【恵子のでっかいひょうたん】【宋人の特効薬】
大意 恵施が荘子に言った。
魏王がくれた瓢の種から五石の量が採れた。水を入れると重くて持てない。柄杓にすると平たくてこぼれてしまう。大きいだけで使い物にならないので壊した。
荘子は言った。
あなたは大きなものを用いるのが下手だ。
宋の国に、あかぎれの薬を造るのがうまい人がいて、その薬を水で絹綿を晒すときに使っていた。旅人が薬の作り方を百金で買いたいと言ってきた。親族が相談して言うには、晒す仕事で今までに数金得ただけだ。それが百金で売れるのなら売ろう。旅人はその作り方を聞いて、呉王に説明した。呉の国に戦争が起こったとき、その男を将軍にした。冬に越の国と水上戦となって、越を破った。その男は大名になった。
越の国の人はあかぎれになって、十分に戦えなかったのだ。
不龜手の薬の使い方が違うのだ。
今五石も入る瓢があるなら、くり抜いて大樽の舟にして、川や海に浮かべたらよいのに。何も入らないことを憂いるとは一体どういうことか。
あなたの心は塞がっている。

rei 恵施は、ひょうたんが大きすぎて使い物にならないと言っているけど、宋の国の あかぎれの薬の話のように、使い道を違えれば良いんじゃ。と、荘子は言っているようです。

 

恵施と荘子 ー役に立たない樹ー

惠子謂莊子曰
吾有大樹人謂之樗
其大本擁腫而不中繩墨
其小枝卷曲而不中規矩
立之塗匠者不顧
今子之言大而無用眾所同去也。」

莊子曰
子獨不見狸狌乎
卑身而伏以候敖者
東西跳梁不避高下
中於機辟死於罔罟
今夫斄牛其大若垂天之雲
此能為大矣而不能執鼠
今子有大樹患其無用
何不樹之於無何有之鄉廣莫之野
彷徨乎無為其側逍遙乎寢臥其下
不夭斤斧物無害者
無所可用安所困苦哉!」

マンガ【役に立たないゴンズイの木】
大意 恵施が荘子に言った。
私のところに大木がある。その大木はこぶがあり、枝は曲がっている。大工が見向きもしない。あなたの話も大きすぎて用がなく、誰もがそっぽを向く。
荘子が言った。
あなたは野猫や鼬を見たことはありませんか。獲物を狙うのだが結局は罠にかかって殺される。
大きな牛は鼠を捕ることはできない。
役に立たない木があるということですが、その木が広い野原に植えて、その周りで勝手気ままに休んで、その木陰で眠ることをどうしてしないのですか。
斤や斧で切られることもなく害を加えられることもない。
何を悩むことなどあろうか。

rei 恵施は、荘子の話は大げさで役に立たない。と言い、それに対して荘子は、世間的に無用とされるもの中に、真の有用さがある。と言っているようですね。「無用の用」

 

福永先生は、「この逍遥遊篇では、絶対者のとらわれない生活、 自由無碍の境地を、鵬鯤の大いなる飛翔とともに説明している。」と、著書で仰っています。

 

逍遥遊は、ここまでです。

ご参考になれば幸いです。

 

ありがとうございました!

 

参考書

コメント

タイトルとURLをコピーしました